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匿名さん
02/13 19:40
>>398
人それぞれ思うことも有ると思います。
あなたが今、そのように感じてるのも理解できるし、無駄に他人を評価してしまったり…
やっていることが楽しくなければ楽しくないほど、そこに意味や理想を求める。虚栄と利己主義と怠惰なる世界が社会人の世界、と私は言っていたことがある。
今いる世界をこれほどまでにたかめ、それ以外の世界をこれほどまでにけなすのは、自分の無価値感に打ち克つためであったと思われる。人間は心の底で本当に信じていないことを信じようとすると、言動が大袈裟になるのではないだろうか。
では、なぜ心の底でウソと思いつつ、それを信じようとするのか。それは劣等感等からであろう。他人に対する対抗意識である。心の底の底で信じていることを、意識のうえでも認めることは、傷ついた自我にとっては難しい。
それは自分の負けを認めることになるからである。心の底では自分の言っていること、やっていることがウソであると知っている。しかし、それをウソと認めてしまえば、他人に対して自分の偉大さを認めさせることができなくなる。
他人に対して対抗意識があると、実際の自分を自分が認められなくなる。私は青春時代、不幸だった。だからこそ、私は幸福だ、私は幸福だ、と自他に言いつづけたのだろう。
自分が不幸であるということを、いろいろな理由から認めることができなかった。ひとつの理由は深刻な劣等感であり、もうひとつは親からの心理的離乳がとげられていなかったからである。
自分の心の底にある感じ方と逆のことを言っている人間には、このような素直な眼がない。自然の感動がないと意識的に自分を感動させようとする。自分にも他人にも感動を見せようとする。
本当に感動していないのに感動しているフリをする。だから感動がわざとらしくて誇大なのである。そんな世界で生きる幸せがある筈がない。そうなれば意識的に幸せそうにする。
自分にも他人にも幸せであることを見せようとする。自然の幸福感がないのに幸福であると意識的に思おうとすると、その言動は誇大になる。愛情のない人間が、愛情を示そうとすると誇大になるのもこのためである。
イイネ!(1)
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